杭州・安徽・北京茶旅2017(6)西遞古村落から北京建国門街へ

6月25日(日)
世界遺産へ

祁門での日程は呆気なく終了した。今日私は北京へ移動することになっていた。一行は夕方福州へ帰るというので、途中まで一緒に観光することになる。どこへ行くのだろうか。黄山は世界遺産でもあり、お茶の産地でもあるが、遠すぎるらしい。また私は高所恐怖症なので、黄山へは行かない方がよいと何度も忠告されていた。私の思いをよそに、車は何となく出発した。

 

1時間ぐらい走って着いたところは、畑と山に囲まれた西遞古村落という場所だった。残念ながら小雨が降っており、最初はあまり外へ出る気がしなかった。だが一応観光を始めてみると、これが意外といい街並みで驚く。この村、900年の歴史があると言い、程よい古さの建物が並んでいるのがよい。

 

周囲は山に囲まれている。勿論一部は観光地化して土産物を売る店や民宿まであるのだが、ここには普通に生活している住民もおり、村には排水がなされており、その溝で洗濯していたり、食事を作っていたりするのがまたよい。雨でも、入場料が高くても、観光客がそこそこいるのはやはり世界遺産の力だろうか。何となく古びたカフェに入ってみたくなる。

 

そこから車に乗り、1時間ぐらいで高鉄駅に着き、私だけが降りた。何だかとても寂しい気分になる。列車はなかなか来ないのでその辺を歩き回ると、お茶屋さんがあったので入ってみた。そこで初めて、『今回祁門まで来たのに、全くお茶を入手しなかった』ことに気づき、愕然となったが、今更買うのも何なので『茶旅とはこんなものです』で済ませることにした。これでよいのだろうか?きっとよいに違いない。

 

列車は7分遅れてホームに入って来た。もう高鉄にも慣れたので、車内で特に語るべきものはない。この列車は安徽省の省都、合肥から済南を経由して北京に至る。乗車時間は約5時間半。本当に早くなったものだ。車内も常に満員で立っている人もいる。日曜日だからだろうか。チケットを早めに確保しておいてよかった。

 

ただ5時近くなっても北京まではまだ時間が掛かりそうだった。日本なら遅れを説明し、こまめに到着時刻などを告げるのだが、残念ながら中国にはそのようなサービスはない。何時着くのかは誰にもわからないし、今どれぐらい遅れているのかもわからない。これでよいのだろうか。まあ皆慣れているのだろう。結局30分ほど遅れて北京南駅に入ったが、最後までお詫びは勿論、何の説明もなかった。また文句を言っている乗客も私の周囲には一人もいなかった。まあ文句など言っても仕方がないと思っているらしい。

4. 北京
ホテル

北京南駅から懐かしの建国門へ地下鉄に乗って行く。今日は日曜日だから夕方のラッシュはないが、それでも相変わらず混んでいる。1号線ではなく、2号線に乗れば多少は楽かと思い乗り換えてみると、やはり若干空いている。車内ではなぜか腕章を巻いた係員が巡回しており、荷物の置き場所を指示したり、なにやら乗客に話し掛けたりしている。どうやら車内マナーの向上を目指して導入された制度のようだが、好ましい動きだ。

 

今晩のホテルは建国門の昔の我が家のすぐ近くにしてみた。その立地の割には安いかと思い予約した。行ってみるとこんなところにホテルがあったかという場所だが悪くはないので、あと3日泊まりたいと申し出ると『残念ながら満員です』と一蹴された。それでも、というと、では、ということで、料金の値上げを提示され、飲まざるを得なくなった。まあこれが今の中国だよな。部屋もサービスも同じなのに。

 

外へ出ると懐かしい景色が見える。6月の北京は何とも日が長く、空も澄み渡っている。一年で一番良い季節だと思う。国貿の方までずっと見渡せるからよい。またこの辺は歩いている人も少なく、車も少ないので、とても静かな印象を受ける。国際倶楽部は大型ビルになるようだ。

 

夕飯は昔北京で働いていた時に一緒だった中国人と食べた。彼が指定したレストランは昔よく行ったオフィスビルの中にあったので、すぐわかると思い気を許していたが、何とそのビルに行っても見つからない。他の店に聞くと『あそこはつぶれて他の店に変わった』という。この付近には有名なレストランもあったが、満員で行列しているため、断念した。

 

仕方なく、その変ったという店に行ってみたが、何と広いレストラン内に客が我々しかいない。従業員が3人も張り付いてきたが、この店もすぐにつぶれるな、という感じだ。日曜日のオフィス街だから、とはいえ、栄枯盛衰、北京の高級店は軒並み苦戦しているのではないか、と思ってしまう。習近平政権以降の政策の影響だろうか。政治というのは何とも恐ろしいものだ。

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