中国最北端を行く(6)漠河 農林業の現状は厳しい

大火災のあった街

部屋で暖を取っていると、ドアがノックされ、朝食が届けられた。何と宿泊客が少ないため、朝食ビュッフェは開かれず、食事が部屋に届けられてきた。マントウに茹で卵、とにかく暖かいものを腹に入れたかったので、夢中で食べた。体力の消耗には食事も有効だ。

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それにしても泊まっている人が殆どいない。何故こんなところにホテルを作ったのかと思ったが、このホテルは杭州で訪ねたことがあるホテル集団の所有だった。ここだけではなく、海南島などリゾート地に物件も持っていたが、この北の果てを投資先に選んだ理由は分からなかった。勿論夏はそれなりに人が来て、採算は合うのだろうが。

 

朝食後にホテルを出た。先ずは松苑と言われる公園に行く。ここには松林が茂っているだけだが、なぜ来たのだろうか。実はここに漠河の歴史が詰まっていた。1987年5月、大興安嶺一帯では大火災が発生し、何とここ漠河はこの松林を残して、街ごと全焼してしまったという惨事があった。

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何故この街が整然と作られているのか、その理由も良く分かる。古いものは全て焼けてしまったからなのだ。そして歴史の偶然か、まさにその火事の時、私はハルピンからロシア国境の満州里を目指して、鉄道に乗っていたのだ。車掌から火事の話を聞いても、正直ピンと来なかった。そんな大規模な火事がある、ということを日本しか知らない私には理解できなかったのだ。

 

その後宋さんの親戚のお世話で県庁を訪問。副県長さんと会う。まだ比較的若い官僚だが、中国では普通。日本が年寄り過ぎるんだ、と思う。しかもジャージ姿で親近感が持てる。勿論突然訪問したこちらが悪いのだが、それでも会ってくれるところが良い。

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この地域の産業は残念ながらあまりなく、ロシアとの往来も意外なほどないということが分かる。続いて商務局も訪ねたが、商務というものがあまりない。外資系企業を誘致するなどという発想もあまりないのだろう。ロシアとの貿易を聞いても、『ほとんどない。あるのは木材だけだがそれも・・』という感じ。書店に行っても統計資料すらない。

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昼は清真火鍋屋へ。これもあっさりしていて美味しかった。ただ真冬の漠河、野菜は決して多くはない。きくらげ、豆腐、などが入ってくる。スープの味は良く、寒い中ではとても温まる。

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農林業の現状

午後は昨日周囲だけ回った家具工場へ行く。宋さんの親戚のオジサン、なかなかの実力者で、案内を買って出てくれた。『大興安嶺神州北極木業』という会社の子会社が、この家具工場の名前。何だか大仰な名前だが、やはりこの辺の木材を使って家具を作る会社だった。

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オフィスは木目調の立派な造りだった。だが責任者に話を聞くと、『今年からこの辺の木を切ることは法律で禁止された。ロシアから材料を入れるのも苦労している。先行きは不透明だ』と暗い表情。確かに安い材料と加工賃でやってきた工場にとって、既にコストは高くなり過ぎなのだろう。

 

次にブルーベリー飲料工場へ。野生のブルーベリーを使っているということで、農業関係のMさんは興味津々。正直ブルーベリーが野生で生えていても、それを産業化するほどとれるとはとても思えない。だがこの工場では季節性の強い野生のブルーベリーを集め、飲料を作っているという。Mさんの商売から見えれば単位未満だし、安定性もないというが、野生のブルーベリーの質は高い。

 

ここではキノコを使った菌茶というのも作っていた。正直味は、うーん、であるが、様々な工夫はされている。生き残るには何でもしないといけない。漢方系飲料、健康には良いということだったが、その効果はいかほどか。

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また広い敷地には立派なログハウスがいくつも建っていた。夏の間泊りに来るお客の為に作ったらしいが、これはとてもよさそうに見えた。是非夏に来て泊まりたい。いや、冬でも室内が温かいのであれば、何もしなくても滞在していたいような雰囲気を持っていた。こちらの方がビジネスになるのでは?これも木材が調達できなければ作ることはできないということか。

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実は案内してくれたオジサンはこの付近で林業を行う林場と呼ばれる生産集団の責任者の一人だった。林場というのは、昔の人民公社のようなものか。この街の林業が変わっていくということは林場の役割が変わるということであり、そこでは働く人々の仕事に大きな影響があるということ。

 

この林場では、新たな試みとして、きくらげ栽培を始めていた。余っている土地の倉庫を使い、きくらげを育てている。きくらげなら室内栽培であり、温度管理などを行えば、育てられるらしい。とは言っても基本的には春から夏にかけて、外で作るようで、その枠組みが途中まで出来ていた。

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この事業は街の事業であり、500万元を投資して、きくらげやキノコを栽培し、林業からの転換を図るというもの。オジサンは責任者として、この事業に賭けるという。うまくいくことを願っている。夜はオジサンが地元料理に付き合ってくれた。親戚に大学教授がいる、というのは何かと便利。今後ハルピンで相談する相手が出来たと喜んでいた。

 

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