ウランバートル探訪記2009(1)

1.ウランバートルまで 
(1)きっかけ 

中国人ながら日本の国立大学に奉職しているXさんが突然『モンゴルに行きましょう』とメールをくれた。正直茶畑のある所なら、二つ返事だがどう見てもモンゴルに茶畑はない。また大学の先生の調査団には1年前に一度同行しているものの、何となく気乗りがしない。

その時あの8年前の悪夢の?内モンゴルを思い出す。資金回収に苦しんだ日々、零下10度の冬の日に路上で倒れたあの闘争の日々。外モンゴルはどうなんだろう??ちょっと気になる。

自宅の書棚を見てもモンゴルの本などない、と思ったが、1冊あった。司馬遼太郎の『モンゴル紀行』、『街道を行く』の1篇である。何となく気になり出す。本を読み返す。Xさんから督促のメールが来る。ようし、思い切って行こう、何の目的もないけれど。

参加の返事を出すと間髪を入れずに団長のN先生よりメールが入る。『ビザを至急取れ』。え、え、ビザ入るの??仕方なく北京のモンゴル大使館に電話を入れると何と何と『今週は正月休みです』との答え。何で正月??

そう言えば、前週チベット料理を食べに行った際、チベットの正月があることを知った。そうだ、チベットとモンゴルは同じ文化圏なのだ。ある人曰く『モンゴルには3つの正月がある。元旦と旧正月とモンゴル正月』。

さてどうしよう??モンゴル大使館は来週開くというが、通常5営業日掛かるらしい。それでは出発に間に合わない。N先生にメールで状況を説明すると『Uさんに依頼するから大丈夫』との答え。何がどう大丈夫なのか?益々混迷が深まる。

しかし結果的にはこのUさんの活躍で、無事問題が解決。態々東京からくれた電話の声で『ああ、この人は司馬遼太郎におけるツェベクマさんだ』と確信。この旅の興味が一気に膨らむ。

(2)空港 
出発当日Xさんと北京空港で待ち合わせ。エアーチャイナのカウンターで並んでいると後ろからXさんに向かって『ウランバートル行くのか?俺も一緒にチェックインしてくれ』という何となく見てくれが怪しい中国人のおじさんがやってきた。非常に訛りが強くよく聞き取れない。

聞けば山西省で炭鉱をやっているとか?非常に軽装で冬のモンゴルへ行く感じもなく、手荷物のバック1つのみ。興味を持ったXさんが同意して三人でチェックイン。CA側も怪しいと思ったのかカウンターで預けた荷物が誰のものか一々確認していた??モンゴルの外貨持ち込み制限や両替事情など何くれとなく話すおじさん。ランチをご馳走するとまで言い出す。更に怪しい??

イミグレを通過後、事件発生。おじさんが荷物検査で引っ掛かる。再度手荷物をチェックしている所へXさんが様子を見に行くと、いきなりXさんを知り合いと見た検査官がXさんのかばんを指して『お前も再検査だ!!』と引っ張られる。え、・・??Xさん、一生懸命無関係を主張。おじさんは悠々とXさんに自分のかばんを押し付ける。うーん、これは大変だ!!Xさんは自分のかばん検査が終わると逃げるようにその場を離れ、何とか事なきを得る。君子危うきに近寄らず。

おじさんはとうとうOKが出ずに、係官に手を引かれ、別室へ。さて一体どうなることやら??しかし彼は何を持っていたのだろうか?もし人民元やドルの偽札、金塊・麻薬などならその場で逮捕だろう。

我々は気を取り直して、CAのラウンジへ。昼ごはんを食べる為に行ったのだが、これが大失敗。食べる物があまりない上に、麺を頼むと奥から出してくる。これが全く味がなく、醤油と酢を自分で調合。自分のホームグラウンドの空港で、しかもこんなに立派なラウンジを作ったのに、何故こんなにお粗末なのか?まるで80年代の中国ではないか?しかしこれはモンゴルへの予兆なのであった。

そうこうしている内に、搭乗時間となる。N先生から日本製のウイスキーをお土産に買うよう指示があったが、空港内には売っていなかった。これは仕方ないか?実は用心の為に自宅にあったウイスキーを荷物に入れてあったのだ。

モンゴル行きのCAのゲートは遠かった。何しろ広い空港の一番端。何とか走って間に合う。それにしてもこのゲートは偶然であろうか?いや、これは中国とモンゴルの微妙な関係を表しているのだろう。バンコックの空港でヤンゴン行きのゲートが常に一番端であったように。

機内に入る。チケットを買った時には込んでいないとのことであったが、乗ってみると7-8割埋まっている。モンゴル人が多いようだ。遠くであのおじさんが手を振る。彼は何とか通過したのだ。すると容疑は何?今度はXさんも用心しており、離陸前に彼も席を離れた為真相は謎のままになってしまった。

2.ウランバートル 
(1)空港 

フライトは順調であった。1時間40分で着くとのことであったが、窓側の席から外を覗くと薄っすらと雪が積もっている所あり、氷結している河川あり、如何にもモンゴルに相応しい風景が広がる。

ウランバートルに近づくにつれて、スピードが減速している。何故だ??雲の動きが早くなる。風が強いのだろうか?旅行前に航空会社の方から『ウランバートルの空港は一方からしか離発着できず、しかも風の影響を受けやすい』と聞いていたので、無事着陸できるか、心配になる。

最後は殆ど止まるのではないかと思えるほど、ゆっくりと機体は空港に着いた。この着陸は昔の香港空港(カイタック)を思い出させた。洗濯物の脇を通るとまで言われた低空でビルを避けて着陸する様子がそっくりだった。

空港はそれ程大きくはないようだ。ビルに入ると直ぐにイミグレがあった。そう言えば機内では入国カードが配られず、CAは『モンゴル側は我々にカードを配っていない。必要ならばその場で書くのでしょう?』と素っ気無かった。すでに大勢の人がカウンターで何か書いていた。カードを探すのに一苦労。並びながら書くことに。

見ると例のおじさんは何の問題もなくイミグレを通過し、消えていった。聞いていたところでは、イミグレのスピードが遅いというのがあったが、それ程感じなかった。入国は容易であった。空港でもビザが取れるオフィスもあったようだ。ビザで大騒ぎすのではなかったと反省。

預けた荷物が直ぐに出てくるかも心配であった。我々が到着すると既にテーブルは動いており、ピックアップしている人がいた。私の荷物にはPriorityのタッグが付いていたのだが、一向に出てこない。まさか誰が持ち去ったのでは??10分ほど待って漸くPriorityのバックが到着。この国にはその様な習慣はないようだ。

殆ど最後の方に出口を出たが、誰も待っていなかった。直ぐにタクシーの運転手が纏わり付いてきたが、それ程いやな感じは受けない。それにしても待っているはずのN先生とUさんは何処に??まさか事故ではと心配になる。

中国から持ち込んだ携帯を取り出しUさんのモンゴルの携帯番号を押すと何の障害もなく、Uさんが出た。『アレー、もう着いたの。今企業訪問中。直ぐ行く』とのこと。何と日曜日まで企業のインタビューをしているN先生には頭が下がる。

20分ほど掛かるというので、空港で待つ。先ずは銀行を探したが、見つからず。あったのはATMの機械が2台。思わず使ってみようと銀聯カードを入れたが、引き出せずに断念。しかし普通の旅行者はどうするんだろう?現地通貨を持たずに活動できるのだろうか?

次にコーヒーショップがあったので入ってみる。コーラが1200T(トゥグリグ)で確認すると1ドルでもよいとのこと。これで為替の大よそが分かる。コーヒーは2600T 。この地ではどんな水準なのだろうか??

外に出る。快晴で気持ちがよい。周囲にはなだらかな丘。雪が薄っすら。非常に気分がよい。それにしてもやはり寒い。最初はよいが、少し経つと体が冷えてくる。機内では零下8度とのアナウンスがあったが、本当の所何度なのか?北京に比べて10度は低いと思われる。

そうこうしている内にN先生が登場。日本製の車に乗り込む。この空港は丘の上にあり、道は片道一車線で、周囲に青空が広がる。少し行くと発電所がある。快晴の空に白い煙が上がる。北京に比べて空気のよさが際立つ。

市内に入る所には鉄道の線路があり、これが北京にもロシアにも繋がっていると聞く。反対側には資材置き場。土地が余っている。市内には高い建物は見当たらず、昔の中国の地方都市のような雰囲気。但し看板に全く漢字が見られない。逆にロシア語、ハングル語などは目に付く。一体どんな都市なんだ?これまで訪ねた場所とは少し異なっている。

ホテルは小山の上に斜めに建つフラワーホテル。日系の経営と聞いているが、どんなものか?Uさんがフロントに話すとパスポートも見ずにキーが出てきた。部屋はやはり中国の地方都市のローカルホテルのそれ。特に違和感はなかった。

既に時間は午後5時を過ぎていた。先ずはN先生の部屋で打ち合わせ。いきなりサッポロビールの缶を取り出し、『飲む?』と言う。見れば日本からの輸入品。中国ではこんな高価なものはあまりないが、スーパーで売っていたという。

前回同様予定は緩やかなもので、毎日埋めていくパターン。これは普通の日本人には耐え 難い所があるかもしれないが、意外性があってよい。自分の部屋でインターネットを試す。説明書通りにやったが、繋がらない。よく分からないのでフロントに電話すると『今から繋ぐ』との答え。これは昔の中国と同じ。勝手に使わせないための処置。国際電話は試していないので分からない。

(2)夕食 

夕飯はN先生のお知り合い、鉱山会社M社長夫妻のご招待との事で、アイリッシュパブに出向く。モンゴル到着後初の食事がアイリッシュパブ。これが現在のモンゴルを象徴しているのかもしれない。

実際案内されたレストランは非常にきれいであり、お洒落であった。また当日が国際婦人デーと言うこともあり、若い女性を中心に店内は満員の盛況(女性への割引があったらしい)。

我々は満員の1階を尻目に2階の豪華個室へ。そこには如何にもモンゴル人らしい体型で、非常に温和なM社長と、あでやかなドレスを纏った夫人が待っていた。これがモンゴルであろうか?これまでもっていた印象とはかなり違う。

M社長の話は国際資源価格、そして中国との交易に繋がっていく。『包頭が一番近いお得意さん』、包頭の鉄鋼と言えば、昔私が苦労して仕事をした相手であった。今や大会社、そして上海のあの宝山との合併をも噂されている。

M社長は簡単な中国語を話した。それだけでもモンゴルと中国との関係が薄っすら見えた。そして彼は『昨年末からモンゴルの銀行で人民元決済が可能となった。輸出代金は今後全て人民元建て。ドルは変動が激しすぎる』と言う。これは衝撃的だ。東南アジアでも人民元紙幣はかなり流通している。しかしこの地では既に公式の決済に発展している。更にUBのモンゴル系銀行では人民元の現金の引き出しも可能とか。完全な人民元経済圏に突入だ。

M社長の会社では今後大型プロジェクトを計画。益々中国との関係を強めていく。奥さんは『最近は中国にばかり行ってなかなか帰ってこない』とこぼす。このお店でお茶の事を聞いたが、モンゴルのお茶はなく、サージという漢方薬の生薬の一つでもある植物のお茶が出された。しかし味は頂けなかった。

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