出雲一人旅1999(1)須賀神社はどこ

〈出雲一人旅〉 1999年3月7-12日

一昨年(1997年)日本で初めての一人旅、みちのく一人旅を敢行した。この旅で日本にもまだまだ面白い旅が出来る余地があることを感じていた。丁度1年半経ったところで第2弾として出雲一人旅を考えた。今回の目的は出雲の須賀神社を訪れること。自らの出自と関係があるのであろうか?全国にある須賀神社の元締めを目指してみよう。

3月7日
1.出雲へ
(1)夜行列車
昔中国留学中に夜行列車に何回も乗った。勿論快適ではなかったが、夜汽車には何となく味がある。日本に戻ってからも夜行に乗ってみたいと思い、結婚して直ぐに夜行で金沢に行ってみた。中国の列車より快適な車両であるにも関わらず、何故か良く眠れないし、味わいも得られなかった。

今回10年振りに夜行列車に乗ってみることにした。知り合いから『サンライズ出雲』に乗れば、快適に出雲大社まで連れて行ってくれるといわれたので、信じることにした。確かに飛行機で一っ飛びでは、味気ないし、私の旅でもない。

夜10時東京駅から出発。狭いながらも個室である。同じ車両にシャワーもある。確かに快適である。東海道線を西へ向かう。直ぐに電気が消される。個室なので自室では何時でも起きていられる。することは何も無い。

ガイドブックを開くが、あまり興味が沸かない。今回も行き当たりばったりの旅である。どうとでもなれ、である。東京駅で1冊の本を買った。眠れない時の為に読む推理小説だ。その名も『出雲殺人事件』。木谷恭介という作家のものだ。勿論題名だけで買ったのである。2時間ほどであっと言う間に読んでしまった。ガイドブックより役に立ったかもしれない。

その後電気を消したが、やはりよく眠れない。右耳を枕につけて横になると線路を走っている音がリズミカルに響く。浜松で停車後は名古屋、米原、そして大阪を通過していく。5時半頃姫路に停車。殆どうつらうつらした状態である。やはり夜汽車は鬼門か?こうなると早く降りたい。

岡山で降りようとしたが、何となくやり過ごすと、朝の素晴らしい風景が見えてきた。眺めていると眠たくなる。気が付くと米子を過ぎており、松江まで行くことにする。しかし時刻表を見ると目指す神社は出雲市に行った方が良いことが分かる。僅か15分我慢して、ようやく10時過ぎに終点出雲市駅で下車する。12時間の列車の旅である。正直疲れた。

3月8日
(2)出雲大社
駅前からバスに乗る。出雲大社行き。ゆっくり20分ほど乗る。正門前で下車。腹が減る。列車に揺られて12時間。食欲がなくなっていたが、老舗の蕎麦屋を見て入る。出雲蕎麦、色が黒っぽく、蕎麦の香りが強い。やはり美味しい。

曇り空の参道を歩く。松並木が荘厳な感じを与える。この並木がかなり長い。向こうに鳥居が見えてくる。少し行くと拝殿がある。例の4回手を合わせる。自分に2回、相手に2回だとも、『しあわせ(四合わせ)』から来ているとも言われる。賽銭は45円(しじゅうご縁)が言いとされるのも駄洒落か??

本殿は1744年に再建されたもので高さは24m。現存する日本の神社で最も高い。大社造りとよばれ、最古の神社建築の様式である。屋根に特徴がある。桧皮葺。しかし平安時代の口ずさみによれば、本殿の高さは東大寺の大仏より高い、48mであったとしている。『雲太・和二・京三』、出雲大社が一番、大和の大仏が二番、平安京の大極殿が三番目に高いという意味である。

古代はもっと高かったという話もあるが、これは無理のようで背後の山を言ったものであろうという。古事記、日本書紀にも国譲り神話として登場。国を譲るように天照大神に迫られた大国主命は壮大な宮殿の建造を条件にして承諾。以降この宮に入って神事のみを司ったといわれている。

また高橋克彦氏の小説『竜の柩』では、大国主命は幽閉されたのだと言う。その幽閉場所として出雲大社は造られた、だからこれほど巨大な建造物になったと解く。本殿の扉が正面に付いていない、神様の位置が正面にない、などの例を挙げている。大社造りが日本で一番古い形式であると言うのにも疑問を持っているようだ。面白い。実際に出雲大社が何時造られたのかは分かっていない。659年に出雲国造に建てられたとの説があるが、これは熊野大社であると説もあり一定していない。

神楽殿にあるしめ縄もすごい。あまりの太さに圧倒される。長さ13m、太さ8m。日本一の大きさと言われている。このしめ縄にお金を投げて上手く挟めるとご利益があるそうだが、当日そんなことしている人は誰もいなかった。鬱蒼としている本殿裏に彰古館がある。大正時代の木造建築であるが、味わいがある。中には沢山の仏像が置かれている。左甚五郎や高村光雲の作品もあるという。この辺まで来ると出雲神話が現実のものとなって表れてきそうだ。

(3)日御碕
出雲大社を2時間ほど歩き回ると疲れてきた。やはり夜行列車の疲れが出ている。目的地須賀神社には明日行くことにして、早めに本日の宿を探すことにする。出発前にある人から出雲大社に行くなら、日御碕の国民宿舎に泊まるといいよ、とアドバイスを受けていたのでそうすることにした。

バスに乗って日御碕へ。約10kmの道のりである。バス停から坂を登ると三階建ての建物が見てくる。日御碕灯台の直ぐ手前である。1泊2食付で6700円。部屋はシービューである。言うことは無い。お客はあまり多くないようだ。

日御碕灯台は明治36年(1903年)に初点灯された歴史ある灯台。岬の突端に建つ。高さが43mで東洋一高いと言われている。因みに海面から63mにもなる。高所恐怖症ではあるが、登ってみる。なかなか厳しいのぼりで息が切れる。上からは全てが一望出来る。当日は曇りで小雨がちらつく生憎の天気であったが、もし快晴なら素晴らしい景色であろう。

バス停の方に戻ると日御碕神社がある。非常に立派な楼門が目に入る。この神社も出雲風土記に出て来る由緒正しい神社。出雲に着てからは、何を見ても由緒正しそうに見えて困る。

神社の近く、海岸線から海を眺めると向こうに経島という小さな島が見える。島に渡ることは出来ないが、歩いていくと鳥見台と呼ばれる場所がある。12月頃にはウミネコが飛来して卵をかえすという。現在は静かな空間になっている。3月の平日の夕方、このあたりはとても寂しい。

天気が悪いため、夕日も拝めず早々に宿へ帰る。お客さんが少ないので、食堂も閑散としている。夕食も早々に片付け、風呂で疲れを取り、就寝。翌朝も天候が優れずに遂に太陽を拝むことは出来なかった。きっと何かの罰当たりであろう。因みにこの国民宿舎を今回ネットで検索したが、出て来なかった。お客の少なさから見てリストラの対象になった模様である。残念。

3月9日
2.須我神社へ
(1)須賀神社はどこに
朝のバスで日御碕を離れ、出雲市駅に戻る。8時半の山陰本線に乗り、宍道へ。そこで木次線に乗り換え、出雲大東駅で下車。この間、実にローカル色の強い電車に乗る。特に木次線ではかなり山奥に入っていく印象があり、今後の旅の困難さが思いやられる。子供の頃に経験したセピア色の電車の旅が思い起こされる。

ここからバスに乗るようであるが、バス停も見付からない。駅の人に聞いて探し当てる。そこには古い映画のロケが出来そうなバス停、いやバスターミナルがある。大正時代の雰囲気がある。木造の待合室のだるまストーブから湯気が出ている。毛糸の帽子を被った近所のオバサンたちが皆知り合いといった感じで談笑している。

大体このあたりの地名の読み方が難しい。先程通って来た宍道は『しんじ』と読むし、木次線は『きすきせん』と読む。何と須賀神社だと思っていたのが、『須我神社』だという事実に初めて気づく。何だ??

おばさんたちの会話も分かり難い。そういえば、松本清張の『砂の器』という名作の冒頭に犯人が秋田弁を話していると思っていたら、島根の山中と秋田弁の発音が同じであったというトリックが登場する。このあたりは奥が深そうだ。などと考えているのはバスが来ないのである。1時間後に来る。ローカル線だから仕方が無いが、距離的には左程無いから時間が勿体無い。でもその時間が今の私には大切。急がない、焦らない。隣のオバサンが私に興味を持って『どこいくの?』と聞いてくる。確かにこんな所で30代の男が平日にゆっくりバスを待っていれば変に思われるだろう。

ようやくバスが来る。といってもここには何台ものバスが停車しており、おばさんに言われて気が付く。もし声を掛けてもらえなかったら、更に1時間半ここにいなければならなかった。感謝、感謝。バスは直ぐに冬枯れた田畑の道を行く。林も多い。こんな所へ来てしまったことを正直後悔するほど何も無い。直ぐに海潮温泉の看板が見える。こんな山奥に温泉がある。どうせなら温泉にでも浸かってからゆっくり歩いて神社に行こうかとも考えたが、平日の午前中のこと、果たして湯に入れてくれるかどうかも分からない。ここから神社までの距離も分からないので断念して、兎に角先に進む。

(2)須我神社
それから10分ほどして、突然左手に建物が見える。ここが『須賀』というバス停である。思い切って降りる。勿論誰も降りる人はいない。そして周囲には一人も人がいない、山ばかりに囲まれてしまった。

取り敢えずこの建物を覗いて見るが、鍵が掛かっている。どうやら神楽をやる場所のようである。如何にも出雲らしい。天照大神の天の岩戸や須佐之男命の大蛇退治、大国主命の国譲り神話などが演じられるのであろう。出雲は全ての国の源、全てはここから起こっている、何故であろうか?そういえば海潮温泉が近くにある。そこには昔から海潮神楽と呼ばれる神楽がある。

後ろに回るとそこに神社があった。これこそ今回の目的、須我神社である。実は須賀神社は全国どこに行ってもある。東京は四谷にあるし、宮崎に行った時も大きな神社があった。極めて全国的なのである。これも不思議なことである。特に謂れなど聞いたことがなかった。

神社自体は決して大きなものではなかった。石垣の上に小さな本殿があったが、それだけだった。神社の謂れが書かれていた。須佐之男命が天から降りてきて、暴れまわっていた八岐大蛇を退治。その後稲田姫を娶り、この地に日本で初めて宮を建てたというもの。つまりは須佐之男命の住居があった場所である。そうか、ここは大蛇退治の話と結びついているのか?主祭神は須佐之男命と稲田姫、夫婦円満、児授かり、出産の守護、除災、招福の守護が授かるという。

須佐之男命とは何者か?

神社はこれだけであったが、ここから2km入った山奥に奥宮があるという。ここまで来ては行くしかない。次のバスまで2時間半。十分行って来られると思い、山に向かう。ところがこれはとんでもないことであった。

(3)奥宮
歩き始めると農家が点在している。ゲートボールをやる公園がある。おばあちゃんたちがゲートボールをしている。田舎では楽しみが少ないのであろうが、農閑期に体を動かすには丁度良いのであろう。

ゴミ回収場所も頑丈なかごの中に指定されている。このあたりもカラスが多いのであろうか?または野良犬でもいるのであろうか?中国の田舎を歩くとそこらじゅうゴミだらけのところがあるが、日本の田舎は実にきれいである。

登りに掛かってくる。畑を避けるように道がカーブを描いている。ゆっくりゆっくり登る。所々に農家がある。この家はいったい何時からあるのだろうか?古代出雲の時代から綿々と受継がれた農業がここにあるのでは?各家では必ず犬を飼っている。家に近づく度に吼えられる。確かに怪しい人間がたった一人で聖地に登って行く。犬も吼えたくなるだろう。

30分歩いても到着しない。道を間違えたのか?しかし間違えようが無い、一本道なのだから?それでも不安がよぎる。道はどんどん登り、所々で素晴らしい下界の風景が見える。この山の名は八雲山。『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」と詠まれ、この八雲山一帯は和歌発祥地となっている。そんなことを思い出していると、荘厳な森の中、ようやく石段が見えてくる。

須賀神社の名の由来も須佐之男命が住居を探してこの地を訪れた際、『気分がすがすがしい』と言って、住居を構えたことから来たと言う。ここ八雲山から見る風景はまさにすがすがしいと言えるだろう。

まさに苔むすという言葉がぴったり。ひっそりとした石段、文学碑の径。和歌の聖地として数々の歌い手が詠んだ八雲山。両脇には碑が並んでいた。石段を登って行くと、何故か声が聞こえてくる気がする。心の中に飛び込んで来る。私の心の中にも何かが隠されている、そんな感じを持つ。

山の斜面に夫婦岩と呼ばれる洞窟のようなものがある。ここが奥宮である。如何にも古代出雲を感じさせる。神話の世界に紛れ込んだようだ。誰一人いないこの山奥で私は神に触れるような気持ちでいる。こんな気持ちになったことは生まれて初めである。信仰というものは、このような雰囲気の中で何かを発見していくことなのであろうか?現在の日本人には日常神を意識する、仏を意識する環境が全く無い。信仰するかどうか別として、偶にはこんな静かで、厳かな気持ちを体験することが必要だと素直に思う。

因みにここ奥宮は須賀神社奥宮と呼ばれており、須我神社とは我の字が違う。何故なのであろうか?全く分からない。きっとすごい謂れがあるのだろう。

既にここまでで1時間半以上が経過していた。予想以上に時間が掛かる。足が少し痛い。須我神社に戻ることにする。しかし下りの方が楽かといえばそうでもない。箱根駅伝の難所は箱根の山登りと言われているが、実は翌朝の山下りの方が数段負担が掛るらしい。山登りは往路のゴールがあり、ドラマが生まれ易いことからハイライトされているのだろう。

1時間掛けてゆっくり降りればバスには間に合うはずだが、せっかちな私にはそういうことは出来ない。もし間に合わないと更に1時間半待つことになる。流石にここにこれ以上滞在することは難しい。しかも本当に疲れてしまった。神の国に来てまで、このバタバタぶりは恥ずかしい。

足を引きずるように山を降りた。結局40分ぐらい掛かっただろうか?兎に角バス停に腰を下ろす。少しすると反対側にバスが停まる。小学生低学年の子供がランドセルを重そうに背負って降りてくる。そして元気に走り出す。下界に戻った瞬間である。

バスに乗って松江に向かう。実はこの神社に来るには松江からバスに乗れば僅か40分なのである。何ゆえこんな苦労をしてここに辿りついたのであろうか?それが私の道なのであろう。バスに乗っている間目を閉じていた。

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