茶旅の原点 福建2016(9)茶農家と不動産屋が手を組む時代

星村へ

そのまま宿に戻るのかと思いきや、李院長は車をまた別の方向に向けた。先ほど話題に出た星村へ行くという。桐木には入れないが、星村は観光地なので、いつでも見られる。途中、山の中に入る。突然かなり大きな登り窯が見えてきた。建窯と書かれている。宋代に天目茶碗などを製作して皇帝に献上し場所だが、確か15年前に行った場所の名は水吉だったはずだが。

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よくよく見ると、ここは一遇林亭窯、という別の名前だったが、建窯の遺跡として、復活している。かなりの規模に圧倒される。15年前の水吉の窯は日本の愛好家などがお金を出して作ったほんの小さいものだったが、今では大きく作り変えられているかもしれない。このあたりにも中国の変化がよく見える。以前は価値のないものと放置されていた物が、ある日突然脚光を浴び、変化していく。今の中国は、観光資源を探しており、何でも掘り返されていくという印象が強い。

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星村へ行ってみたが、万里茶路と繋がる遺跡は何も残っていなかった。古い建物も港もすべて新しくなっており、微かに歴史を留めるのは天上宮という名の廟だけだった。かなり立派な廟ではあったが、茶葉貿易のことなどすっかり忘れ去った清々しさが漂っており、長居する場所でもなかった。ここも文革では破壊されたのだろうか。

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川の方へ行ってみる。昔の港は既になく、今は観光客を乗せる筏船の発着場所になっている。武夷山の観光名物の一つである筏下り。私も15年前に一度経験したが、昔はこの九曲の流れの中を茶葉が運ばれていったのだろう。ここだけは多くの人で賑わっており、次々に筏が出発していく。何となく川の流れを眺めていると人が茶葉に見えてきた。

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茶農家が別荘を

さて、帰るのかと思っていると、車はまた山道を入っていく。そこには比較的大きな茶工場があり、ちょうど茶葉が運び込まれ、製茶が行われていた。ここにも若者が沢山いるなと思っていたら、やはり武夷学院の学生だった。李院長はいくつもの派遣先を確保して、学生を研修に送り出し、理由をつけては、その状況をチェックしに来ているようだ。元々製茶経験が豊富な彼は、自ら茶葉をみて指導に当たる。それがまた茶農家にとっても為になるようで、皆真剣だった。

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工場の脇の建物、中は相当きれいな内装になっていた。今や武夷山では茶農家、などというイメージはなく、会社のようになっているところが増えている。ここで目についたのが大きな茶壷。それも1つや2つではない。100個近い壺が置かれている。そして何と私にも一個くれるというのだ。その条件は『10年後に取りに来ること』。ここのオーナーは記念として、友人や市の幹部などに、このようにして茶葉を送り、長い付き合いをお願いしているらしい。

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私などは10年後、どうなっているか分らない。もしこの茶葉、岩茶を味わってみたい人がいれば、10年後取りに行ってほしい。だがどうなっているか分らないのは私だけではなく、中国人や中国そのものの将来も全く見えてこない。そんな中だからこそ、敢えてこんな企画をしたのかもしれないが、果たして、どれだけの人がこの茶を飲むことができるのだろうか。因みにこの茶工場も街の区画整理の対象になっているようで、移転を余儀なくされるという。

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オーナーが食事に行こうと誘ってくれた。また工場で食事するものと思っていたら、車で移動を始める。山を下り、幹線道路を走り、また山の中へ。一体どこへ行くのだろうかと思った頃、着いた場所はどう見ても別荘地帯。武夷山の不動産業者が数年前に山の中の土地を取得し、最近開発したらしい。武夷山の景区内での開発は一般的には難しいはずだから、相当早い時期に認可を得ていたに違いない。

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我々はなぜここへ来たのだろうか。実は先ほどの茶業者と、この不動産会社が手を組み、環境抜群のこの場所でエコツーリズムを手掛けるというのだ。武夷山という場所柄、茶畑という風景も欲しいということか、お茶の販売だけでは以前のように儲からない茶業者の事情もあり、実現したコラボだった。この大自然の中で茶畑を眺め、お茶を飲む。そして別荘に泊まり、そこのレストランで食事をとる。そんなコンセプトらしい。これからは茶葉を売るのではなく、それを飲む環境を売るのだとか。

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まだ正式に開業しておらず、我々は試食に訪れた格好だ。他にも友人たちが参集してきて、賑やかに食べ、賑やかに批評していた。不動産で儲かる時代が過ぎてしまった今、各地方では、観光とエコを取り入れた、このような取り込みが行われている。その担い手は既に不動産で儲けた人々であり、彼らが文化を語り出している。

 

夜も9時過ぎにお開きとなり、市内へ戻る。武夷山は観光の街として栄え、道路脇には沢山の土産物屋が並び、灯りが煌々とついている。エコや大自然を見てきた今、この電気の光は何を意味しているのだろうか。これが現代中国のエコ産業であり、茶産業の現実であるともいるかもしれない。それでも前に進んでいかなければならない、日本のような停滞は意味がない、と言われているような気がした。

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